
日本では相手をからかったり、見下したりするときに、よく「馬鹿」という言葉を使う。
その語源には、下のような話がある。
秦の始皇帝がなくなって、二代目の皇帝胡亥の時代に、権力をふるった宦官・趙高が、あるとき皇帝に「これは馬でございます」と言って鹿を献じた。皇帝は驚いて「これは鹿ではないか?」と尋ねたが、群臣たちは趙高の権勢を恐れて、多くの人は黙り込むか、鹿を指して皇帝にあれは馬だと言った。
馬も鹿も分別がつかないのか、愚かものだ、と日本語にはそう解釈している。
しかし、中国語のその話、さらに続きがある。
じつは、趙高は謀反を企んでいるので、鹿を馬と言って、群臣は自分に従えるか否かを試す、いわゆる「踏み絵」である。のちに正直に「あれは鹿だ」という大臣は殺される羽目になった。 いつの世も、正直者は損をすることが多いようだね。
そのため、中国では「指鹿为马」は「白黒を混同させ、出鱈目をいう」という意味である。
例:北朝鲜为了避免国际制裁,只好指鹿为马,声称发射的是人造卫星。
もうひとつ気づくことがある。それは、同じことでも、国や人によっては、見えるところが違うこと。
お風呂に入ることは中国語では“洗澡”という、日本人は湯船に浸かっているときの気持ちよさに着眼点を置くに対して、中国人は体を洗って綺麗にするという結果に着眼点をおいている。
日本では、インスタントラーメンは効果に着眼点すれば、即席ラーメンというが、容器に着眼点すれば、カップラーメンとも言う。中国では、効果に着眼しては“方便面”、“速食面”と言い、作り方に着眼しては“泡面”という。
どちらも正しいから、言葉が豊かになるが、学習者には若干面倒かもしれない。
その語源には、下のような話がある。
秦の始皇帝がなくなって、二代目の皇帝胡亥の時代に、権力をふるった宦官・趙高が、あるとき皇帝に「これは馬でございます」と言って鹿を献じた。皇帝は驚いて「これは鹿ではないか?」と尋ねたが、群臣たちは趙高の権勢を恐れて、多くの人は黙り込むか、鹿を指して皇帝にあれは馬だと言った。
馬も鹿も分別がつかないのか、愚かものだ、と日本語にはそう解釈している。
しかし、中国語のその話、さらに続きがある。
じつは、趙高は謀反を企んでいるので、鹿を馬と言って、群臣は自分に従えるか否かを試す、いわゆる「踏み絵」である。のちに正直に「あれは鹿だ」という大臣は殺される羽目になった。 いつの世も、正直者は損をすることが多いようだね。
そのため、中国では「指鹿为马」は「白黒を混同させ、出鱈目をいう」という意味である。
例:北朝鲜为了避免国际制裁,只好指鹿为马,声称发射的是人造卫星。
もうひとつ気づくことがある。それは、同じことでも、国や人によっては、見えるところが違うこと。
お風呂に入ることは中国語では“洗澡”という、日本人は湯船に浸かっているときの気持ちよさに着眼点を置くに対して、中国人は体を洗って綺麗にするという結果に着眼点をおいている。
日本では、インスタントラーメンは効果に着眼点すれば、即席ラーメンというが、容器に着眼点すれば、カップラーメンとも言う。中国では、効果に着眼しては“方便面”、“速食面”と言い、作り方に着眼しては“泡面”という。
どちらも正しいから、言葉が豊かになるが、学習者には若干面倒かもしれない。
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