2009年4月20日月曜日

民以食为天(二)

 3時からのメンバーは全員中国へよく行く人々なので、食べ物に関するネタも多い。
 今回は、はるばる長野の善光寺ご開帳参りから戻ってきたYさんから高菜やかぼちゃのおやきの差入れがあって、「腹が減っては戦が出来ぬ」とは逆に、「腹を満たせば話が盛り上がる」という状態。
 私は中国から来たばかりの時、生き作りされた魚は口がパクパクして、かわいいそうだと思っていた。その話をしたらどえらい「反撃」をくらった(笑)。中国では鳩も犬も食うじゃないか、蛇も食った…おいしかったけど!…市場で売られている沙虫(海鮮の一種)の外形は、けっこうグロテスク。生のザリカニや湯掻いた(焯)赤貝など食べる時、正直不安だったが、美味しさには勝てなかった…などなど。

 見慣れているものは平気で口にしているのに、見慣れていないからといってどうのこうの言ってはいけないと分かりつつ、言いたくなるのが人の性。
 違っているから、自分の主張を言う。これこそ、コミュニケーションの原点。
 Mさんは記事を見て、なぜ関西地方は薄味を好み、関東地方は濃い味を好むかを説明したが、それを聞いたYさんは異なる見解を力説し、私も通訳ガイド試験のための勉強の中で知った情報を伝えたわけですが、聞いてみればそれぞれ一理があって、勝負は引き分け。
 話は食べ物にはとどまらず、食器にも及んだ。Sさんは日本はなぜ箸の置き方(摆法)が中国と違っているかを説明したが、私はそれに加えて中国ではなぜ「箸」という単語を“筷子”に改めたかの理由を説明した。さらに箸とフォークの起源にも話したかったが、時間が来てしまった。

これらの会話は当然ながらすべて中国語で行われる。
話したいことを話す、という状況なら、中国語でも日本語のときと同じようにみんな自分の意見を力説する。これが本当のコミュニケーションだろう。

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