♬屋根より高い こいのぼり
♬ 5月5日、日本全国のあちらこちらで、鯉幟が青空にスイスイと泳いでいる。
埼玉加須市では、100メートルものジャンボ鯉幟が非常に有名らしい。
♬迎风飘扬的鲤鱼旗 比屋顶还高♬ 5月5号,在日本的全国各地,都有鲤鱼旗轻快地飘扬在蓝天之中。
据说,埼玉县加须市的长达100米的巨型鲤鱼旗,更是闻名遐迩。
では、鯉幟を揚げる訳を、ご存知だろうか?
那么,您知道为什么要挂鲤鱼旗吗? 中国の正史、二十四史の一つである『後漢書』によると、昔、黄河の急流に竜門と呼ばれる滝があり、その滝を多くの魚が一生懸命に遡ろうと試みたが、成功した魚は僅かであった。
いまでは、魚が上流へ産卵するため、と考えられるだろう。当時の中国人にはそれが理解できず、魚が滝を登り切った暁に竜に成るというロマンチックな解釈をつけた。鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。
据中国的正史、24史之一的《后汉书》记载,在中国黄河湍急的河流中,曾有过一个名为龙门的瀑布。竭尽全力想要逆流而上的鱼儿络绎不绝,可是成功的却是寥寥无几。
在今天的人们看来,这只不过是鱼儿为了游到上游去产卵而已。可是当时的人们不明真相,就编出了一个很浪漫的说明,说是只要鱼儿能够越过瀑布,就能一跃成龙。于是,鲤鱼逆水游瀑布就成了飞黄
腾达的象征。
どこの親でも、子供の出世を願うはず。では、鯉幟を揚げるのは、なぜ故事の本場の中国人ではなく、日本人なのか?
天下父母,没有不望子成龙的。那么,挂鲤鱼旗的为何不是这个故事发源地的中国人,而是日本人呢?
その故事から「登竜門」と言う言葉が生まれた。中国では長い間、科挙という官僚登用制度が行われていた。登竜門のような難しい試験を通れば、庶民の出身でも出世が可能であった。切に子供の出世を望む親たちは、すべての情熱を英才教育に向けるから、手間暇と金をかけて鯉幟を揚げるようなことはしなかった。
“登龙门”这个词语就是来源于这个典故。在中国相当长的一段历史期间,都实施着一种名为科举的官僚选拔制度。即使是平民子弟,只要考上了这种“难于上青天”的科举考试,就有望走上仕途。因此,望子成龙心切的父母,都不遗余力地对孩子进行精英教育。而不会花费时间和精力去挂鲤鱼旗。
一方、日本の歴史を見れば、貴族社会が強かった。社会を牛耳っていたのは、藤原氏や平氏などの門閥。彼らが官位を決めるとき、考慮するのはやはりその人の血脈、出身、そして実力であった。
彼らにしてみれば、新参勢力の台頭を助けるような科挙制度は自分たちの権力を脅かす可能性がある。認めるはずがなかった。だから、学問の神様と呼ばれる菅原道真の失脚は、必然的に起こるのだ。
而纵观日本历史,就会发现主宰官场的都是诸如藤原氏族、平氏家族之类的名门贵族。他们在封官授爵时,主要考虑的还是对方的血统、门第以及个人实力。
在他们看来,有助于增强新型势力的科举制度,必将对自己的既得权益产生威胁,万万不可开门揖盗。因此,被尊为学问之神的菅原道真,就注定要被轰下台去的了。
平和な江戸時代に至っては、武士の中ですら身分が固定され、その家柄によって就く役職がほぼ決められていた。
個人がどんなに才能があっても、代々受け継がれていた士農工商という身分の制限を越え、出世することは絶望的であった。
自分は無理だが、子供に豊臣秀吉のように大出世する夢を託した。親たちによって鯉幟が揚がる。
到了天下太平的江户时代,即使是武士的地位,也被分为三六九等并固定下来。个人的官衔大致根据他的门第高低来决定。
不管个人有何等通天的才能,想要逾越雷池,打破世代相传的仕农工商的门第限制而出人头地,无异于异想天开。
作为父母,只能一边埋怨自己生不逢时,一边高挂鲤鱼旗,希望自己的孩子将来能够像丰臣秀吉那样平步青云。
公務員試験は言わば現代版の科挙である。最近、「脱官僚」が盛んに叫ばれ、来年の公務員の採用は半減させられた。それに伴って、「登竜門」のハードルが大幅に上げられるだろう。
空高く揚がっている鯉幟を見て、私はそう思った。
公务员考试可以说是当代的科举考试。最近,“摒弃官僚制度”的呼声日益高涨。据说明年,公务员的录取率将被砍掉一半,那么,“龙门”的高度也将变得更加高不可攀了。看着高高飘扬在天上的鲤鱼旗,我不禁产生了以上的遐想。