2013年7月7日日曜日

附和雷同

七夕の日に近づくと、スーバーに行っても、駅に行っても、笹の葉っぱが飾ってある。
笹には色とりどりの短冊が掛かっていて、風に吹かれてゆらゆら揺れる。
  短冊には、それぞれ掛けた人の願いが書いてある。「玉ねぎがたべられますように」、「宝くじ1億じゃなくていいから2000万位当たれ」のような微笑ましい願いから、「彼女が欲しい!」や「いい会社に転職できますように」のような真剣な願いまで、様々な願望が見られ、暇つぶしにちょうど良い。
 何人かの日本友人に「なぜほかの植物じゃなくて、笹に短冊を掛けるですか」と聞いてみた。みな頭を傾げて、「さあー」と言う。
 実は、私達中国人のみなにも分かるように、七夕節は「乞巧節」とも言う。この「乞巧節」の始まりは牛郎と織女の伝説と関係がある。
 日本では牛は彦星といい、牛の世話をしている大変な働き者であった。織女織姫といい、名前からもわかるように、手先が器用な機織りの名人であった
 こで昔未婚の女の子は織姫のように手先が器用になりたいとうので、願い事を書ようになったようです。
 では、どうして笹がいいのか?というのも理由があ
「雨後の筍」という言葉も示すように、竹(笹)はすくすく伸び
 つまり、笹に書いた願い事を結ぶことで、少しでも早く天上にいる織姫に届いてほしいという意味がこめられてた。
 という訳で、元々未婚の女の子しか行わない行事を、今老若男女問わず行うようになり、願うのも千差万別で、門違いのものが多かった。織姫も呆れたであろう。

 今日も、身の回りにたくさんおかしいな事が当たり前のように行われている。もし、私たちはただ鵜呑みにしないて、もう少し考えると、少しずつ賢くなっていくではなかろう。

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